「さようなら全てのエヴァンゲリオン ~庵野秀明の1214日~」<前編>
「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の制作現場に4年にわたってNHKが独占密着した「プロフェッショナル仕事の流儀」の再構成版だ。
「プロフェッショナル仕事の流儀」版に比べ庵野秀明監督以外のシン・エヴァンゲリオンの制作現場を幅広く映し出している。
作中、庵野秀明監督が何度も言う
「僕以外とったほうが面白いよ」
その言葉に沿った構成となっているのかもしれない。
「さようなら全てのエヴァンゲリオン ~庵野秀明の1214日~」<前編>では、
「シン・エヴァンゲリオン劇場版」がどのように作られて行ったのか?
庵野秀明監督がどういった思いで作品を作っているのかを見ることができる。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観る前に必見
このドキュメンタリー作品は「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の完結を見る前に見ていただきたいと思います。(個人のかんそうですが・・・)
「シン・エヴァンゲリオン劇場版」本編のネタバレなどはほとんどなく、かつ本編がなぜあの演出なのかを保管する作品となっています。
劇場版本編を惜しみなく楽しむために必見コンテンツだと思います。
アマゾンのサブスクで同時に観れると言うことで必見ですね。
「一つだけわかっているのは、庵野さんが書いて庵野さんが作っているものじゃなければエヴァンゲリオンではないということだけ」
エヴァンゲリオンというアニメは、分からない事が多い。
正体不明の「使徒」と呼ばれる敵が人類を襲い、
原因不明の大災害が幾度となく起きる
主人公が乗っている「エヴァ」自体も謎なのです。
当然、制作現場でもこの先どうなるのか誰も分からない。
碇シンジ役 緒方恵美さんはいう。
「一つだけわかっているのは、庵野さんが書いて庵野さんが作っているものじゃなければエヴァンゲリオンではないということだけ」と。
現実の話かアニメの話か「屍が本当はこうだっていう形を浮かび上がらせる」作業
庵野監督の「作品至上主義」の制作工程について画コンテ案・イメージボード担当の樋口さんはいう。
「こうじゃないものの死屍累々とした中から
屍が本当はこうだっていう形を浮かび上がらせる
そのためには、破片で満たさなきゃいけない」
ドキュメンタリーの中で、この「破片で満たす作業」は延々と続く。
ストーリー、画角、編集、CG、莫大な量の試作と試みで満たす作業を行う。
それは、石材から彫刻を削り出す様な、キャンパスに油絵の具を重ねる様な、それをスタッフ総出で行う。
多くの試作、原稿が日の目を見ることなく埋まっていく。
それだけでも美術展や設定資料集などで見てみたいものですね。
「シン・エヴァンゲリオン」制作現場から見えてくる「シン」の意味とは?
「エヴァンゲリオン新劇場版」から「シン・エヴァンゲリオン劇場版」へと切り替わる。
ストーリーは、過去のTV版などから大きく離れた。
結末も当然違うものとなった。
タイトルも「新劇場版」から「シン・エヴァ」へと変わった。
それは、「シン」が「新=リビルド」ではないからだが「それ以外の意味が含まれているからだろう」と言うことがよくわかる。
新しいアイデアを求めて広大なミニチュアを作った。
映画の舞台を1/45のサイズで再現している
「なぜミニチュアで撮影しようっていう話になったんですか?」という質問に
「頭で考えても限界がある そこに存在するっていうのは大きいからね」
「ミニチュアにしたからいろんなアイデアをそこに足せるんで実際に見たらこうじゃないよなってわかる」
「感覚的にも理屈的にも何が足りないって言うのもすぐその場でわかる」
東映スタジオにてモーションキャプターで「アングル」を探ってきた。
「庵野さんはカメラ撮らないのですか?」という質問に
「自分がやるより任せたほうがいい」
「自分で最初からやると自分で全部やったほうがよくなっちゃう」
「それ以上のものは出てこない」
「自分の外にあるもので表現したい」
「肥大化したエゴに対するアンチテーゼかもしれない」
「アニメーションってエゴの塊だから」
「重要だから内緒なの」(笑)
と答えている。
庵野秀明監督のエヴァンゲリオンを生みだした自分以外から結末へと続く「答え」を探す「旅」は、多くのスタッフによって照らし出されている。
映画のストーリーとしては、分かりやすく、伝わりやすく、多くの謎に答えを出した。
その下には氷山の様に巨大な「そうでなかったモノの屍」が詰まっている。
タイトルの「シン・」は「新」ではない。
その答えをこのドキュメンタリーは捕えているのかもしれない。